仏教学科からのメッセージ

「仏教学」の可能性−比較文化−

「仏教学」という言葉を聞いて、皆さん、なにを連想されますか?
「お坊さんになるための勉強」といった漠然としたイメージですか?
―それは、先入観にすぎません―

この学問を発祥をたどれば、かつてイギリスがインドを植民地として支配したとき、植民地経営のために、その「社会と文化」を知る必要性から行われた各種の研究調査(それは歴史学・考古学・社会学・美術研究・文化人類学など様々な分野にわたる)が、学際的・総合的に進められて「インド学(Indology)」として成立・発展したことにあります。
ご承知の通り、仏教は古代インドにおいて成立しましたが、悠久なるインドの精神文化を理解する上で欠かせない要素として始められた研究、それが「仏教学(Buddhist Studies)」の始めです。

この学問伝統では、仏教を純粋に学問の対象として一つの「文化」ととらえ、その文化を歴史的・社会的に考察し、明らかにしてきました。 そして、その研究にしばしば用いられたのが「比較」という手法です。

「じぶん」を知るために

私たちは「自分」というものを知るために、なにをするでしょうか?
まず、友人や知人と自分がどの点で共通し、どの点で異なるかを考えるはずです。
私たちは「自らの文化」「自らのアイデンティティー」を、どうしたら語ることができるでしょうか?
過去にさかのぼり今と昔を考える、あるいは、自らの文化と他者の文化とを並べてみることが欠かせません。 なぜなら、私たちはそのままでは自分自身を見ることができない ― すなわち、自分自身を映す鏡が必要だからです。

世界の国々や地域ごとに、人びとはみな、オリジナリティーあふれる精神性を持ち、それを土壌にしてバラエティーに富む文化を創り上げてきました。 そのようなものとの比較を通じて、初めて私たちの「文化」や「アイデンティティー」は、客観的に見、語ることができるのです。

現代いまを生きるための視点

「比較」を行う際に重要なものは、基準となる“視座”です。 単に異質なものを並べて比較して終わり!とするのでは、意味がありません。
例えば、私たちは「むやみに生き物の命を奪ってはならない」ことを当然のように思っています。 無論、世界のあらゆる人びとがそのように考えていますが、その意識は、つきつめると国や地域によってかなり異なっています。
捕鯨に対する見方の相違はその典型的な例で、国際的にも意見が二分してしまっています。
食生活に見られる相違という点では、牛をあがめて牛肉を食べないヒンドゥー文化、豚を忌避して豚肉を食べないイスラム文化などが有名ですが、日本でも江戸時代までは四本足の獣は食べないという意識がありました。
現象だけの比較では、その差異の本質に迫ることはできないでしょう。 私たちの生命尊重の意識が、自らの社会に深く流れる精神文化 ― 「仏教精神」に由来することを認識するとともに、そこに視座を定めた比較によって、様々な国民・民族の精神性との相違を本質的に理解することができるのです。

例えば、造形芸術。西洋、東洋、日本、それぞれに特徴があり、いずれもその独創性が強調されます。 しかし独創的なものにも、その基盤となった文化があったはずです。 古代の素朴な造形から、西洋ではギリシア以来の伝統が、東洋ではインドや中国での歴史が、そして日本ではアジア大陸からの様々な影響のもとに固有の造形が生み出されました。 そしてそれらの背景には、いずれもギリシアの多神宗教や、西アジアに発した一神教たるユダヤ教・キリスト教・イスラム教、インドや中国での多神観念など、宗教に代表される精神文化がありました。 日本では八百万(やおよろず)の神々や精霊を信じる観念と仏教とが習合し、一つの流れとなって現代にいたっています。
私たちは、まず仏教の経典などに描かれる仏や神々の世界の有り様を知ることによって、はじめて精神世界の表象としての芸術を比較し理解することができるでしょう。

ここに掲げている「比較」という方法論は、単なる論理ではありません。 比較を通じて、自らを認め他を認める。そこを出発点とし、「自他不二(自分と他者を、無関係な別個の存在と考えない)」の精神を「比較文化」の世界に生かして、新たなる世界観を見出し、新たなる文化を創造しようとしているのです。

世界中で繰り広げられている宗教対立・文化摩擦に起因する紛争・戦争・殺戮。リアルタイムに世界の出来事が報道され、情報通信の高度化により世界がますます狭くなって、多様な価値観があふれている21世紀の社会に私たちは生きています。

地球規模での破壊を制御し、人類が共に生きる道を模索してゆかねばならない現代。
そんな時代に生きる私たちが“よりどころ”とできるもの、未来を主体的に創造してゆく方法論として、視座を定めた「比較文化」の方法論を、いま、皆さんに提案します。